ミスターCARTたる所以とは
チームメートのアイルトン・セナからもスペアカーの提供を申し出るなどの話もあったような、哀れなマイケル・マリオ・アンドレッティの為に弁護しておきましょう。アメリカに戻った翌年の1994に名門チップ・ガナッシ・レーシングから出走した第1戦のCARTは、オーストラリアのクイーンズランドの太平洋に面した公道サーキットで行われたAustralian_FAI_Indycar_Grand_Prixでした。昨年のCARTチャンピオンであり1992年のF1チャンピオンでもあるナイジェル・アーネスト・ジェームズ・マンセルにポールポジションを0.691秒差で奪われたものの2位に入ります。
しかしながら65周の予定のレースは雨で始まって、3度もアクシデントで遅れて暗くなったために10周早まるという波乱の55周で終わるレースとなりました。速さという点ではファーステスト・ラップもナイジェル・アーネスト・ジェームズ・マンセルに奪われてしまいました。しかしながら、ベテランでやはりF1とCARTのチャンピオン経験者のエマーソン・フィッティパルディに対して0.2秒の差を付けてトップチェッカーを受けるという見事な復帰戦になりました。その後も優勝回数よりもリタイヤの数が多いというキャラクターはそのままでしたがCARTからIRLに移るまでの間、毎年最低でも1勝を挙げていました。
なお2000年の栃木県茂木で行われた第4戦Firestone_Firehawk_500ではポールポジションはF1でも活躍したファン・パブロ・モントーヤが奪ったものの、古巣のニューマン・ハース・レーシングから出走して優勝する姿を日本のファンの目に焼き付けました。この年はポールポジションが1度も獲れなかったもののベテランらしい走りと合わせて、CARTではとても重要な戦略によって2回の優勝をゲットしました。補足としてこの年のリタイヤは6回でした。